司法修習生の給費制廃止違憲訴訟

新65期の声

身近な法律家を育てるために(30代 法学部出身)

私の修習地は東北地方のある県でした。実家から通える所への配属を希望しましたが認められず、単身で暮らすことになりました。実家からは新幹線や特急を乗り継いでも6時間はかかる所でした。実家にいたときには想像もつかないほど雪の多い地域でした。

給費制が廃止されて給与が支払われないことになり、貸与制のもとでの修習です。給与をもらうことに代えて、毎月最高裁から貸付を受ける――借金をすることに心理的な抵抗がありましたが、他にあてもないので選択の余地はありませんでした。

修習前から引っ越しやスーツの新調でお金がかかったうえ、コートや雪用の靴などこの地方特有の出費もあったりして貯金を取り崩しました。

修習が始まってお金が入ってきても、しょせんは最高裁から貸与された借金です。周知のように弁護士としての就職も収入も極めて不確実なご時世とあっては、将来の返済を考えて節約せざるをえません。

外食はできるだけ控えましたし、昼食にはお弁当を作るように心がけました。

自宅や裁判所から駅までのバス代を浮かせようとして歩くことも珍しくありませんでした。自転車を使えれば楽なのですが冬場はまず不可能です。バスやタクシーを横目に雪が降り積もる道を歩きました。

修習のさなか、父が急死したのも雪の時期でした。

実家へ急遽戻るため駅に向かいましたが、さすがにこのときはタクシーに乗りました。なかなか拾えずに雪まみれになったことを覚えています。

電車に乗ってから実家までは遠かったです。何で実家の地域に希望どおり配属されなかったのだろう。

このときの切符代には違和感を覚えました。収入はないので、交通費は貸与資金から出すしかありません。修習のため実家から離れた地域に行くよう最高裁から辞令を受けたのに、亡くなった父に会うため実家に戻る費用はもらえません。その切符のためには最高裁から借金をしなければならなかったのです。

実家へ帰ってから、お葬式をあげました。つつましい規模でよいので父と親交のあった方々にもお別れをしてもらおう、とは思ってもそれなりに費用はかかります。大部分は実家のほうで負担することになったものの、形の上では喪主ということもあって全く支払わないわけにもいきません。修習生が兼業して収入を得ることは禁じられていますが、かといって葬儀の費用がもらえるわけではありません。その費用には最高裁からの借金をあてることになりました。

その借金の貸与を続けるのですら、ひと苦労ありました。当初、貸与資金を受けるため父が保証人になっていました。その父が亡くなったときは代わりの保証人を立てなければならないというのが最高裁の貸与の条件でした。ありがたいことに保証人になってくれるという親戚がいました。とはいえ、まさか手紙だけ送りつけて保証書を書いてもらうわけにもいきません。葬儀からしばらく経った頃に保証人のお願いに直接会いに行くことになり、これにも交通費がかかりました。この交通費も貸与資金で払うことになりました。借金を続けるために、借りたお金を使ってたわけです。

普段の生活の他、葬儀の費用、そこに出かける交通費、保証人を新たに頼む費用、そんな一切が貸与資金から出ていました。こうして1年の修習の間は給与ではなく借金をして暮らしてきました。

しかし、司法修習というのは給与を払う価値のないものなのでしょうか。

司法修習には何の意味があるのでしょう。

「裁判を受ける権利」が保障されている以上、一般市民が司法という仕組みで適切なサービスを受けられるようにすることは国の責任です。そして、司法修習生は近い時期に司法という仕事に携わる人たちです。その養成に国が責任をもってあたることは何より利用者である一般市民にとって必要なことです。

司法修習にはこうした公共の要請があり、だからこそ修習の実をあげるため司法修習生にはさまざまな義務が課されているはずなのです。

そのため今回のできごとでも、辞令で実家から離れた修習地になったことはこうした理由があるからだと納得しました。訃報を受けてから実家に帰るまでの道のりも仕方のない、それだけのことが求められる重要な仕事なのだと思いました。

1年の修習を通じて、裁判官・検察官・弁護士の実際の仕事を経験できました。訴状や判決を起案したり、取調べをして起訴不起訴の判断をしたりして、それぞれの仕事の一端を垣間見ることができました。

そこには、ただ単に仕事のやり方を覚えることにとどまらない成果がありました。

もともと弁護士を志望していましたが、裁判官や検察官としての見方を体験することで弁護活動の考え方に幅が広がったと思っています。おそらく弁護士としてだけの研修では見方が一面的になっていたかもしれません。弁護士に限らず、裁判官や検察官を志望する修習生もこうした修習を通じてお互いの立場を理解できるような素地が作られているのだと思います。

法曹三者の仕事を体験することで相互の隔たりが解消され、裁判という仕組みがよりよく機能する――これは司法というサービスを一般市民が享受するうえで大切なことだと、修習を終えて実感しました。

こうした社会的に意味のある修習をおこなっても、残念ながら修習生には給与は払われずに1年間の借金での生活です。これから司法という仕組みを支えるべく修習を有意義なものにし、修習生に課された義務をどれほど尽くしたとしても、経済的には何の見返りもありません。

就職も収入も先行き不透明ななかで将来の返済のことを考えると大きな不安が伴いました。これに加えて父の死で出費が重なったため、なおさら借金を意識せざるをえません。曲がりなりにも仕事をしているのに給与をもらえず、故人を悼もうとすると借金をしなければならないことに釈然としない思いが拭えないのです。

あるいはむしろ、貸与制のもと節約せざるをえない生活のなかでは、お金になりそうな付合いや仕事を優先することにして、そうではない慶弔事には関わらないと割り切ってしまう選択もあるでしょう。友人の結婚式に出てお祝いを述べることもせず、親が死んでも駆けつけず葬式もあげない。借金で生活している間の、借金を返すまでの間の我慢。経済的な観点からは魅力があるし、それが合理的な行動なのかもしれません。いちいちそんな感情的なことに左右されなければ、人間関係の煩わしさとも無縁になってよいのかもしれません。

ですが考えてもらいたいのです。そんな法律家を養成したいのでしょうか。そんな人に弁護されたり裁判されたりしたいのでしょうか。

私はそんな法律家ばかりの社会になってほしいとは思いません。

だから、修習の間も人とのつながりに必要なことならお金をかけようと思いました。葬儀をおこなって父にゆかりのある人たちに出会い、生前の父の話を聞けたことは本当によかった。貸与制で返済の不安はのしかかってきますが、だからといって人間関係を希薄にしてしまうのは違うと思います。

さらにいえば、法律家としてのスタートを切る貴重な時期にそうした不安を与え続ける貸与制という仕組みそのものが、人と人とがつながること、共感することを妨げている原因だと、この一連のできごとを契機にそう思うようになったのです。

もし裁判や弁護をしてもらうことになったときには、一緒に喜んだり悲しんだり、気持ちに寄り添ってくれる法律家が身近にいてほしくないですか。一見すると法律なんて無味乾燥なものです。けれども、それを使って心を汲んだ解決をするために、それができる法律家を育てるために、給費制を求めたいのです。

法律家になるには本当にお金がかかる(20代 男性 文学部出身)

法律家になるには本当にお金がかかる。

僕は、文学部から転身してロースクールに入った。

僕のような人を、純粋未修という。

ロースクールの3年間で学費と生活費を合わせて約900万円かかった。

自宅から通えればもう少しコストは下がったと思うが、僕の実家から通えるロースクールはなかった。

ロースクールは、3年間で卒業できたが、純粋未修者の中には留年する人も少なくない。学部時代から法律を勉強してきた法学部出身者と同じ授業を受け、同じテストを受けるので、当然成績も悪くなり、単位を落とし、留年してしまう。純粋未修者は、真っ先に単位を落とされ、相対評価の名の下に他の人が救済されるという意味で、僕らは「人間の盾」だとつくづく感じていた。

なお、ロースクール生の中には、返還不要の奨学金などを受け取る者もいるが、そういった人は、成績優秀で受験前から合格確実なサラブレットなわけで、僕には無縁だった。

ロースクールを修了すると、司法試験を受ける。

ここでも、純粋未修者の圧倒的に低い合格率に高い壁を感じた。

他学部出身者の平成23年司法試験の合格率は、9.6%。

10人受けて、1人受かるという計算になる。

ロースクール制度は、多様な人材を法曹として育てることを目的としているはずなんだけど、純粋未修者の合格率の低さには矛盾を感じてしまう。

司法試験に合格したものの、65期司法修習生からは貸与制なので、300万円の借金がまた増えた。

結局、弁護士になるまでに1200万円と4年間の歳月かかった。

司法修習期間の1年間貸与であっても、将来困ることはないだろうと考える人もいるかもしれない。

しかし、司法修習生になるまでにも学費、アパート代等の生活費といったロースクールを修了するための費用を支出しているのである。

自分を育ててくれたロースクールにも司法修習にも感謝している。

せめて、司法修習期間だけでも給費制の復活により国に費用を負担してもらえないだろうか。

お金のない若者に多額の費用負担を強いるのは酷だと思う。

寮に入れなかったし、他にもお金がかかった(30代前半 男性 法学部出身)

司法修習生は、貸与金で就職活動をしています。

しかし、就職難のため、なかなか就職先が決まりません。

私の友人は、司法修習生になってから、毎月二回就職活動で 地方から東京、大阪などの大都市に飛行機や新幹線、夜行バスで向かいました。 「その往復費用がバカにならない。その費用は全て借金から払っている」と話していました。

また、大都市の修習生は、日々の電車賃や交通費がかかります。

大都市で修習をしている友人は、「修習の場所に行くことだけで出費がかさみ、 借金だけが膨らむから、家で寝てるか、 フリーターの方がマシ。自分はフリーター以下になってしまった。」と話していました。

修習生は、大学、ロースクール受験資格要件強制の下、大学、ロースクールで奨学金を借り、修習生になる時点で、平均 600万の借金を、多い人は一千万円の借金を抱えています。

修習生は、貸与金で奨学金を返済している状況です。

私の友人は、「今司法試験を受けるためには、ロースクールで多額の借金をせざるを得ないのに、更に借金を増やす貸与制は酷い。」と話していました。

今就職難で、即独も増えています。

就職難なら、即独すれば良いという意見もありますが、貸与制のため、即独資金も貯蓄できず、即独すら困難です。

私は、いずみ寮に落ちました。

近場の物件は全て、他の修習生に押さえられ、私は、180000を払って、和光から5駅向こうのレオパレスを借りました。

入れなかった方に、何らかの補填措置はなく、入居費も和光までの交通費も全て自腹でした。

修習終了後、貸与金の明細書が配られ、 平均三百万近くの借金を抱えていました。

私の友人達は、「これだけの借金返せるかな。まだ就職も決まってないし。ロースクールや大学の奨学金を返さないと。 」と話していました。

よくこれからは弁護士界も競争と言いますが、今の制度は、多額の借金をしなければ法曹になれない制度で、弁護士になった時点で多額の借金を抱えており、若手に不利で、自由競争がそもそも成り立ちません。

貸与制に移行して、修習を辞退した友人もいます。

最近は、大学生の間でも、今の法曹界の実情を見て、弁護士になることを諦めた方もいます。

現在の多額の借金をしなければ法曹になれない制度は、多くの志のある方々を遠のかせます。

どうか、給費制復活を当事者としてお願いしたいと思います。

貸与金を受けなかった(20代 女性 法学部出身)

私は貸与を受けずに1年間の修習を終えました。

貸与を受けなかったのは、母子家庭で収入源は母しかなく、身内に保証人を頼める人がいなかったこと、②借金に対して非常に強い拒否感を示す母の反対を押し切ってまで借りることはできなかったことが主な理由です。

女手一つで私と弟をこれまで育ててもらい、しかも私は大学、ロースクールに行かせてもらったことをずっと恩に感じていて、司法試験合格でやっと少しだけ親孝行できたと思ったところなのに、借金を作って母を悲しませることはどうしてもできませんでした。

ただ、貸与を受けなかった結果、修習に必要な支出の原資は、結局、母の援助と、自分の微々たる貯金(ロースクール時代の給付奨学金を貯めたもの)となりました。

幸い、修習先は実家から通える距離でしたが、それでも毎日の通勤定期代はかかります。教官が和光から出張して来られる度、クールが変わる度の懇親会費用(各回4~5千円)も馬鹿にできません(弁護修習では先生方がご馳走してくださいましたが、裁判所や検察は自費負担です。)。私は幹事をしていたので事実上出席が必須でした。懇親会への修習生の出席率は「お金がないから」という理由でどんどん下がっていき、第3・4クールでは2割いれば多い方という程度で、幹事として寂しいし、教官に申し訳なく感じていました。懇親会は単なる娯楽的な飲み会ではなく、特に任官志望者にとっては自己アピールの機会なので(一クラス75人ほどいる中で覚えてもらう必要があります)、貸与を受けていなかった任官志望の友人は、少しでも節約するために1時間かけて自転車通勤し、懇親会費を捻出していました。

また、修習中、精神的にとても苦しい時期があり、過去にもカウンセリングを受けていたことがあったので、精神科を受診したいと本気で考えていました。修習は法律で義務づけられているため、簡単には休めず、理由を明確にした申請が必要です。でも、受診し、診断書をもらうために病院に行けばお金がかかります。そのお金をもらうためには母に使途を話す必要があります。でも「精神科に行きたい」なんて言って心配させたくない…その堂々巡りで、結局、そのクールが終わるまで毎日「裁判所の最寄駅まで来れた自分を誉めてあげよう」と言い聞かせて必死に耐えるしかありませんでした。正直、積極的で充実した修習とは程遠い状況でした。30歳近くになって、まだ経済的に自立できない惨めさは日々感じていましたが、あのときほど、「給費があったら自分だけの判断で行動できるのに…」という情けなく感じたことはありませんでした。修習期間を終えて振り返っても、自分の弱さにも原因があるとはいえ、身のある修習ができなかった悔しさが募ります。

このような経験から、貸与を受けなかった=経済的に余裕があった、と判断されるのはたまりません。私の援助のために、60近い母は身を粉にして働いてくれ、帰りが23時頃になることも多々ありました。

経済的な負担と精神的な不安定さは直に繋がるということも知り、実りある修習を1年間継続して行うには、そのような負担や不安がないことが大前提なのだと身をもってわかりました。

同じような苦労を抱える後輩を出さないためにも、給費は修習生にとって必要なものだと思います。

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